- 難民問題がよく分からない人
- 難民支援・ボランティアに興味がある人
- 日本の難民に対する政策について考えている人
こんにちは、Ayakaです。
2018年から2019年の年越しは、難民支援のボランティアを一緒にした仲間たちと過ごしました。
これはこれで素敵な思い出になったのですが、今回はこの年越しの話ではなく、
難民支援のボランティアに1週間関わってみて、率直な意見と感想、日本も難民を受け入れるべきか、など個人的な見解を書いていきます。
様々な異論はあるかとは思いますが、あくまでペーペーな大学生の、正直な一意見としてのみでとどめていただければと思います<(_ _)>
お世話になったボランティア団体と活動内容
画像引用元:Help refugees in Calais keep warm - Palmers Green Community
いつものようにGoogle検索にお世話になり、辿り着いたHelp Refugeesという団体にオンライン上で全て連絡を完結させ、12月末から1週間フランスのCalaisという所でボランティアをしました。
滞在先はHelp Refugeesとやり取りをした上で、難民支援に長く携わっていらっしゃる地元民の所有する家で、他のボランティア仲間と一緒に寝泊まりしました。
食事に関しては、朝と夜は基本的についていないので、スーパーマーケットで買い、冷蔵庫に保管しておき、食べたい時間に好きなように食べました。
昼食は、難民のためにご飯を作るボランティアチームが、他のボランティアのためにも昼食を準備してくれるので、
日本の給食のように列に並び、皆でわいわいがやがやしながら食べました。
食事を作る仕事については上記で説明しましたが、
ボランティアの仕事は他に、届いた古着を仕分けする仕事、ほつれや穴のある衣類を縫って直す仕事、届いたテントを収納する仕事、届いた日用品(後ほど詳しく)を仕分けする仕事、など様々でした。
他にもあったはずですが、ほぼ1年前のことなので忘れてしまった活動内容がきっとあります(泣)
1週間や2週間など短期間ではなく、ボランティア参加者の中には
3か月~6か月程度、長期で活動され続ける方もいるので、
直接、難民が住んでいらっしゃるキャンプへ出向いて支援したい方は、ボランティア団体が提供するトレーニングを受ける必要があります。
医師や看護師など、医療に関する資格を持っている方は、1か月などの短期間でも、ほぼ初めから直接難民の方々と交流する(話をする・支援をする)機会があります。
また、アラビア語など、難民の方々と直接コミュニュケーションの取れる語学力がある人も、難民の方々が住んでいる所へ出向かれていました。(こちらは確か出向く前に、数日間のトレーニング・研修が必要だったはずです。)
私は何の資格も使える語学力も持っていないので、他の大半のボランティアの皆さんと一緒に、毎日倉庫でボランティアを行いました。
毎日同じ仕事をしなくてはならないわけではなく、
食事を作る仕事、日用品を仕分けする仕事など、毎日別の仕事をしても良いですし、
1日内でも、午前と午後で異なる仕事をしてもOKでした。
結構自由です。
疲れてしまって、1日でも、半日でも休みたいと思えば、ボランティア活動先から離れて休憩をとることもできましたし、
途中で、コーヒー・お茶休憩を挟んでも大丈夫でした。
まぁ無償のボランティアで、誰かが強制的に活動させているわけではないので、当然と言えば当然ですが。
日用品についてですが、シャンプーやトリートメント、ボディソープ、赤ちゃんや高齢者向けのおむつ、歯ブラシ、歯磨き粉、ハンドクリームなど、中にはコンドームもありました。
本来、私のように何のスキルも持っていないボランティアたちは、食事を提供しに行く係以外、難民の方々を直接見る機会すらないのですが、
日用品を仕分けする仕事を担当していた時に、たまたま難民の方2人をお見掛けしました。
お2人は恐らく、必要な日用品が足りなくなったようで、トレーニングを受けた付き添いのボランティアと、直接倉庫に足を運ばれて来ました。
お2人はフランス語が少し分かる方々だったので、一緒に活動していたルクセンブルク出身の子(当時まだ10代後半の子でした)がフランス語で何とか話しかけながら、何が必要か聞いていました。
残念ながら、私はフランス語もアラビア語も使えないので、立って見ていることしかできず、非常にもどかしい気持ちになりましたが、
自分のしている活動がどういった方々届くのかを、1度だけでしたが、お2人を通して見ることができたのは、個人的に大きな収穫でした。
私が行ったのは、ド短期のボランティア活動だったので、何も大きなことはできていませんが、
活動自体よりは、正直、ここで出会った友人たちが、かけがえのない自分の財産になりました。
ボランティアは続かない
さて、ド短期の活動だったわけですが、いくつか感じたこと/strong>や、意見など、個人的見解を共有します。
たった1週間のボランティアでしたが、率直に言って、体力的にも精神的にも疲れました。
体力的な部分は、もっと長く続ければ慣れるのかもしれませんが、
精神面に関して言うと、違う仕事ができるとはいえ、そこまで多くの活動内容があるわけではなく、何か特別に学スキルを身につけることができるわけでもない為、
1日のうちに違う仕事を全部していったとしても、飽きてしまいます。
少なくとも私は飽きてしまいました。
寒く、天候の良くはない冬の時期だったのも、そう思った原因の一つかもしれません。
また、先述しましたが、自分の行っている活動が誰に届くのかはっきり分かるわけではないので、モチベーションも大して上がりません。
詳しく後述しますが、更に言うと、このボランティア活動にはキリがなく、終わり、つまりゴールが見えません。
私のボランティアに対する意識の問題だったのかもしれませんが、
〇〇を成し遂げるために▲▲をする
というような明確な言葉や数字でボランティアの目的が、ボランティア全員に共有されておらず、同じようにボランティアをしていた人たちに聞いても、
「難民を助けるため」「難民を支援するため」「自分の国が政策を十分に行っているとは思えず難民の方々に申し訳ない気持ちがあるから」
など、かなり抽象的でした。
ただ一方では、
「素晴らしい志だな。私はそんな大層な理由でボランティアに来てないな」
と思いました。
しかし、短期間ではなく、長期間で支援やボランティア活動を継続しようとするなら、もう少し具体的な目標がなければ、組織として何かを達成することが難しいのではないかと感じました。
もちろん場合によりますが。
そうこう考えていた中、国際協力師として発信され続けている原貫太さんの面白い記事を見つけました。
それがこちら、
です。
これを読んで、フランスやイギリス(他はオランダなど)から、大学生や大学卒業したての人々を中心に、多くの若者がCalaisにボランティアに来ていた理由に、「あ~、なるほど」と思いました。
私はずっと、継続的支援のためには、高給取りのプロが必要だと思っていましたが、仕事に対する概念は常に変わっていくものなので、
これからは有償・無償関わらず、ボランティアをする人が増えるのかもしれないと、ボランティアに対する意識が少し変わりました。
ただ、原さんにいちゃもんをつけるようで申し訳ないのですが、
少なくとも私が関わったこのCalaisで難民を支援するボランティアに関してのみ言えば、
後述する問題もあり、ボランティアを“正式な”仕事にするレベルまで繋げることの“できる人は少ないと思います。
警察と現地住民、ボランティア、そして難民のやっかいな構造
さて、後述する問題と書いたのが、下記に記述していくことです。
大見出しに、「やっかいな」と書いているので、誤解を招かないように先に説明しておくと、難民の方々自体をやっかいな存在だと言いたいわけではありません。
ここでの「やっかい」は難民の方々を取り巻く環境・社会構造がやっかいだという意味です。
Calaisのケースだけを元にしているので、全ての難民キャンプを取り巻く環境が一概に同じとは言えませんが、私が聞いた話を共有させていただきます。
ボランティアの活動内容で、様々な国から送られてくる物資(テント等)を仕分けするとご紹介しましたが、
テントや衣類の他には、ブランケットなど、寒さをしのぐ為の物資も届きます。
こういった物資は、ボランティアによって難民キャンプへ届けられるのですが、無事に難民の方々へ届けられたとしても問題が・・・。
警察が結局は(行政=上からの指示で)そういった物資を難民の方々から取り上げてしまうのです。
警察官もしたくてしている仕事ではないかもしれませんが、もちろん税金で働いている以上、政府の指示には従わなければならないので、堂々と逆らうわけにはいきません。
ボランティア側はもちろん、それに対しては怒りの気持ちです。
ただ、怒っても、取られてしまったものは“仕方がない”ので、また新しい物資を難民の方々へ提供します。
もちろん、警察はまた没収しに来ます。
なので、結局ボランティアと警察は互いにいたちごっこのような状態です。
加えて、現地の住民の中でも、難民支援反対派と賛成派で意見が分かれます。


私はCalaisの住民ではないので、本来ならJudgeする立場ではありませんが、
例えば何年も・何十年も住み続けている自分の地元に、
いきなり、言葉も文化も異なる人々が、地元の一画どころか、多くの土地に大量に押し寄せたら、良い気分にはならないでしょう。
少なくとも私は「ちょっと待った」と思うはずです。
参考までに、難民が大量にヨーロッパに押し寄せ(ヨーロッパ以外の国へ避難した人数や国内避難民の数に比べると大したことないですが)、
2016年の難民危機が起こる前のCalaisの状態が、下の動画で観れます。
1分12秒辺りから観ると、Migrant(移民)の置かれている状況がすぐ分かります。
Calais migrants: Life in the Jungle | Guardian Features
反対派はもちろん、ボラティアには支援を止めて欲しいし、警察にどんどん物資の没収、
更には、(分かりやすいので、あえて強い言葉で表現しますが)難民を迫害してほしいと思うでしょうし、
逆に賛成派は、ボランティアの活動を支援したいと思い、警察の没収や迫害には反対で、
なんとかCalaisやフランス国内・ヨーロッパ内のどこかで住み続けられるように支援を続けるべきだと考えるはずです。
私が「やっかい」と書いた意味は、単に、難民vs警察 のような“単純な”構造で物事が起こっているのではなく、
そこにボランティアという第三者が入ることによって、
警察(行政)×支援反対派の地元民 vs 難民×ボランティア×支援賛成派の住民
というように、色々な立場の人が色々な意見を持つからこそ、
このヨーロッパで起こっている難民問題になかなか収拾がつかないのだな、と
Calaisの一件だけを通してですが、目の前で、この問題のコアな部分を、はっきりと見た・感じた気がしました。
更に話を広げると、政府や警察の立場を支持する側と反対する側も世界中にいて、警察の行動に対しても、他国やNGOから批判があったり、逆に賛同の声もあったり・・・。
支援やボランティアと聞くと、なんだか“耳障りは良い”ですが、綺麗ごとばかりではないな、と思った次第です。
また、わざわざ冬の寒い時期、貴重な時間をボランティア活動に割く人が意外にも多く驚いたと同時に、
結局そのボランティアが無駄にはなってしまっていないだろうか、とも思いました。
無駄になっている、というのはあまりにも短絡的な言葉で表しすぎだ、という意見もあることでしょう。
(できる方限定ですが)難民の方々とのコミュニュケーションや、届けられた物資を通して、難民の方々へ思いが伝わればそれはそれでボランティア支援の成功だと言えるかもしれません。
ただ、先述したように、常にいたちごっこな構造なのです。
このいたちごっこを何年も、もしかする何十年も続けることになるとすると、政策的に賢明な構造だとは言えません。
今は続けられているボランティア活動が、いつ何が起こって、打ち切る羽目になるか誰にも分かりません。
私のようなド素人が考えても、継続的な支援が続けられるとは言えないCalaisの状況でした。
だからと言って、ボランティアを今すぐ止めるべきかというと、もちろんそうではないでしょう。
自分の中でも何の答えも出ませんが、これがCalaisで考えた1年程前の話です。
今日は1年前とは状況が、良くも悪くも全く変わっている可能性があります。
最後に~日本も受け入れるべきか~
まず私の考える結論から述べると、現段階で日本は難民を受け入れるべきでない、です。
日本は今、主にアジア諸国からいらっしゃる移民や労働者、留学生アルバイトに対する差別や手当の不十分さにおいて、
日本国内のみならず、海外からもかなりの批判を受けていますよね。
こんな状態では、難民の方々に日本へ来ていただいたとしても、支援どころか、むしろ、更に奈落の底へ落とすような環境へ置いてしまわないかと懸念します。
文化的にそう遠くはないアジア圏からの移民(そもそも難民ですらない)すら適切にケアできない国が、
より困窮な状況に置かれた難民を受け入れて、多様性を理解しながら共存するなどできるわけがないでしょう。
今の状況で受け入れても、ヨーロッパのように、というかそれよりも深刻な社会の対立が起こるでしょう(“日本人”同士の間でも)。
多様性に関して言うと、日本の教育は70年以上体制が大きく変わってはいないので、難民を受け入れる心構えすらできていない状態だと思います。
つまり、土台ができていない、のです。
教育は、人間の、社会の、国の根幹です。
あの軍隊式且つ詰め込み式の教育では、
多様性を理解する力、違いを認め合う力、意見を建設的に相手に伝える力、上下関係なく間違っていることを間違っていると言える力、などが身につきません。
日本は少子化が進んでいて経済も右肩上がりではないので、移民や難民をもっと受け入れて活躍してもらうべきだ!という意見もありますが、
そもそも少子化のどこが悪いのでしょうか。
良い悪いの話をしても、もう日本の少子化が止まらないことは明白ですが、少子化の是非については、また別の機会にとっておきます。
私は経済には詳しくないのですが、新興国やアメリカに比べると、日本の成長率自体は著しくないものの、別に超衰退しているわけではありません。
昔は経済的に世界一だった国でも、年月が経って、世界一ではなくなりました。
今、日本の経済はGDPで3位をキープ中ですが、
World Economic Forumによると、2050年には、日本の経済力が8位になると見込まれています。(今のところ)
話が少し逸れましたが、別に、経済は一つの指標に過ぎず、
国自体の経済力が高いからと言って、人々の暮らしやすさに直結するとは限らないので、経済大国で有り続ける必要はないと思いますし、
(現に幸福度が割と高いと言われているデンマークやスウェーデンは経済大国ではないですよね。ただし1人当たりのGDPは高いです。
スイスやオランダも1人あたりのGDP高めです。)
人口減少に関して言えば、世界的に見るとまだまだ人口は増え続けていくので、“日本人”を増やす必要はないでしょう。
それでも、日本経済を回すために海外から人材(移民)が必要なのであれば、来てもらうに見合った対応を国としてすべきですし、
難民を受け入れると決めるのであれば、きちんと法制度と人権意識を整えるべきでしょう。
ごちゃごちゃ書きましたが、とにかく私の結論としては、
今のままの日本に難民を受け入れたとしても、社会にヨーロッパ並み、もしくはそれ以上の混乱や亀裂を生むことになってしまうと思います。
受け入れると決めるのであれば、体制を整えてからにすべきです。
書いててなんだか情けなく思ってしまいますが、私自身も含め、人間って戦争や搾取をしてばかり、バカだな、と思います。
一体歴史から何を学んでるんだか・・・。
Calaisの話から、私の愚痴にまで付き合ってもらってすみません。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
参考までに、こちらは有名ブロガーwasabiさんが、実際にドイツに逃れて来られた難民の方にインタビューをされた記事です。