こんにちは、Ayakaです。
今回は、授業中にふと思ったことを書いていきます。
予め断りを入れておくと、日本とドイツの文化なり、人なり、歴史なりを比べるのを一切止めるべきだと言いたい訳ではありません。
「なんだ、タイトルと言っていることが違うじゃないか」と思われるかもしれませんが、最後まで読んで頂ければ趣旨が分かると思います。
初めに
私が今期取っている科目の1つがContemporary Political System-現代の政治制度です。
アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ・日本、インド、中国、イランという順番で現代の政治制度について学びました。
なぜ、ドイツと日本は「、」ではなく「・」で敢えて書いたのか。
それこそまさに今回書きたいところに繋がってくる大事なポイントです。
ドイツと日本の政治制度は1回の授業でまとめて学びました。他の国は1授業、1国でした。
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ドイツと日本の世界で一番知られている共通点は何か。そう、第二次世界大戦の敗戦国であること。
そしてその結果、二国の政治制度が酷似していることです。
科目名の通り、この授業は現代の政治制度について学ぶ授業なので、第二次世界大戦がドイツと日本の政治制度に及ぼした影響を分かりやすく説明するために教授はドイツと日本を一度の授業にまとめることにしたのでしょう。
第二次世界大戦まで
両国が第二次世界大戦に突き進んでいった理由は超簡単に大きく2つ。
自然資源に乏しく、輸入に頼ってきた国であること。
アメリカやイギリス、フランスなど大国が産業革命等でどんどん発展し植民地も広げ、力をつけていく中、「自分たちも負けてはいけない!」というプレッシャーにかられていたこと。
試験の解答としては不十分でしょうが、今回ここは本題ではないので大目にみてください。
第二次世界大戦後


ここが、一番私が考えたところですが、ドイツと日本は敗戦国であり、(ほぼ)アメリカの意向によって政治制度がたてられたにも関わらず、何故こんなにもドイツ社会と日本社会は違うのか。
私は、戦後の政治制度そのものよりも、戦争についての認識の違いが今日の差を生んだと結論付けました。
まず、ポーランドでの大学生活の中で耳がくさるほど聞いてきたフレーズは「ドイツと日本があの残虐で悲惨な第二次世界大戦を始めて、負けた」です。
私は日本でしか教育を受けたことがありません。
教科書に書いてある言葉は「〇〇〇で第二次世界大戦が始まりました」というように、日本が「始めた」ではなく、何等かの外的要因によって「始まった」という趣旨で書かれていたと記憶しています。
思い返せば、日本で、先生の口から「日本が始めた」という言葉を聞いたことも一度もありません。
ここが私にとっては大きな気付きでした。
ドイツの教育方針を詳しくは知りませんが、聞いた情報によると「ヒトラーは確かに悪いが、彼の考えに賛同して戦争を始めたドイツ国民も同罪だ」というような趣旨で教えているそうです。
また、一方的に教えるのではなく、自分の頭で色々な物事を考えることができるある程度の年齢に達してから初めて、ワークショップに似た形式で「なぜ戦争が起こったのか」「ドイツは何をしたのか」などを生徒同士で話し合い、意見交換をして学ぶといったことも聞きました。
今日、戦後の反省から多くの難民を受け入れているドイツを見るときっとそのような教育方針を取っているのだろうと思います。理由はそれだけではないと思いますが。
再度日本の話に戻ります。少なくとも私世代の日本の公立校で教育を受けてきた人たちは、南京虐殺や従軍慰安婦といった言葉を目にしたり、耳にしたことはあっても、それらが一体何だったのか、日本はどう関わったのかを学校で能動的に学んだ記憶はないはずです。
私は中学校の日本史の教科書に「関東軍が南京大虐殺を行いました」という趣旨の記述があったのは覚えているものの、詳しくなぜそれが彼らによって行われたのかを授業で考える時間はありませんでした。
終わりに
戦争、特に日本は関わりの深い第二次世界大戦から学ぶことは大事です。これは今まで書いてきたことの大前提です。
学問的には、ドイツと日本を同じ敗戦国として考察するには“良い”ケースなのかもしれません。
ただ、そうだとしても日本(人)がドイツ(人)に一方的なシンパシーを感じるべきではないと思います。
戦後70年を長いと感じるか、短いと感じるかは個人差あると思いますが、もう日本とドイツは全く別の国として考えるべきでしょう。
戦争までは似た者同士、だからこそ同盟も組み、二国とも敗戦しましたが、戦後の方針が全く違います。
私は日本が誰かに謝れとは思いませんし、もし私が個人的に謝れと言われても、正直言って「は?」です。
ただ、現在も歴史の認識と教え方が私が学校にいた頃と大きく変わっていないのだとすれば、マズいな・・・と思います。
第一次世界大戦後の失敗を防げず、第二次世界大戦が始まったように、歴史は繰り返します。
基本的に人間は歴史からあまり多くを学ぶことができないのでしょう。私も含め。
政府のお偉いさんなり、先生なり、誰かの認識で歴史を一方的に教えるのではなく、なぜそれが起こったのか考えさせるようにしなければ、実際の戦争を知らない私たちと私たちより下の世代が、同じ間違い、それよりも悲惨な間違いを犯す可能性があります。
日本は、広島、長崎の被爆経験から全体的に被害者意識が強いと思います。被爆ナショナリズムという言葉もあるくらいです。
前述したように、世界標準の理解は、日本とドイツが残酷で悲惨な戦争を始めた、で、私はそのフレーズを耳が痛くなるほど聞いてきました。
と同時に世界の多くの人がNagasakiとHiroshimaの名前をきちんと知っています。
NagasakiとHiroshimaで起こったことへの世界標準での認識も全体的に、「あれは戦争を終わらせるために必要だった」から「あれは無実の市民を残虐な方法で殺す罪だ」になってきていると感じます。
広島と長崎で起こったことは一生忘れてはいけません。同時に、日本が戦争を始めたという事実も無視してはいけません。
見ざる、聞かざるの態度では前に進めません。
タイトルからだいぶ話が逸れてしまったような気もしますが、今回の記事の要約は
ドイツと日本は第二次世界大戦を始めた国であり、歴史や政治制度を比較するのは学問的に大変興味深い。大戦後の政治制度の改革で権力が一か所に集中しないような体制が取られたものの、二国は異なった方針で戦争に向き合ってきた。よってドイツと日本の戦後を類似国として語るべきでない
です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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